withコロナのために捨てるべき信仰①正義
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講師 越智 小枝
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withコロナのために捨てるべき信仰①正義
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講師 越智 小枝

私は2012年のロンドンオリンピック・パラリンピック前の英国公衆衛生局(PHE)で災害公衆衛生を学び、2011年の福島第一原発事故後の福島県でリスクコミュニケーションの推進に関わった内科医だ。その後、東京都の医科大学で臨床検査医学を専攻したところ、今回の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックに遭い、ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)検査や抗体検査についての見解を発信してきた。偶然にも災害を追いかける羽目となった私の経験から、今回の短期集中連載『withコロナのために捨てるべき信仰』では、災害時に医療者を含む社会全体が陥りがちな3つの信仰として、①正義②正解③ゼロリスクーについて考察する。

パンデミックは災害

「日本人はグラッとこないと災害と思わないんですよ」

これは以前、ある災害専門家から聞いた言葉だ。確かに日本では、地震や台風などの突発的な自然災害に比べ、比較的ゆっくり起きる事象は災害と認識されにくいようにみえる。例えば、日本では熱中症で毎年数百人以上が亡くなる1)が、これを熱波という自然災害の一部と認識している人は少ない。COVID-19のパンデミックもまた、発端が曖昧であるために、自然災害という側面があまりおもいみられていないのではないだろうか。

災害とはある大きなイベントが社会のキャパシティーを超えた状態を意味し2)、その特性は資源の不足にある。例えば救急医療と災害医療は似通った疾病を診察することが多いが、災害医療においては傷病者の急増、病院機能の低下、物流の途絶などにより資源が欠乏し、平時の救急医療と同じレベルの医療は提供できないこともある。

パンデミックもまた自然災害であり、人・モノ・情報・ロジスティクスの不足がその基本性質だ。しかし、これが自然災害と認識されないことにより、「苦しんでいる患者がPCR検査を受けられないのは××のせいだ」「医療施設に十分な防護服が届かないのは〇〇のせいだ」という、個人や特定の団体への非難が繰り返されることになる。

「人災」は災害の本質

もちろん、物資やロジスティクスが足りていないのは事実であり、早急な対応は必要だ。また遅々として進まない政府や行政の対策を見て、各担当者による「人災」と考えてしまうのはある意味、当然の心理だろう。

しかし、たとえそれが努力や能力の不足によって引き起こされたとしても、それも含めての平時のキャパシティーである。能力を超える事態でなければそもそも災害とは呼ばれない、という意味で、人災は災害の本質ともいえるだろう。

例えば新型コロナウイルスのPCR検査1つを取っても、もともと「医療崩壊」が唱えられて久しい日本の医療現場で、8,000余りの病院に質の担保された検査を平等に提供するには、数カ月という期間ではとても足りない。「研究室には十分リソースがある」という意見もあるが、ロジスティクスのつながらないリソースは存在しないに等しいからだ。

このような中で検査を受けられる人と受けられない人の不平等が生まれるのは、非情なようだが必然である。その状況を少しでも改善するためには、「どこ(誰)から順番に資源を配分するか」「次善の策をどう打つか」という優先順位付けの議論こそが必要だ。

それが頭では分かっていても、私たちはつい「なぜできないのだ」「もっとよこせ」というないものねだりをしてしまいがちだ。それは、現場で十分な医療が行えないフラストレーションの表れなのかもしれない。

災害時に絶対的正義はない

医療者は日ごろから緊急事態に対処しているから災害に強いのでは、と言われることがあるが、実はそうでもない。なぜなら平時の診療では、多少の差はあるものの個々の患者に理想的な医療を目指す「正義」が許されるからだ。

資源が欠乏する災害現場では、ある患者に資源を投入し過ぎれば他の患者が亡くなるかもしれない。働きづめの医療者が過労で倒れれば、より多くの命が失われかねない。つまり平時と異なり、「自己犠牲を払って患者に最善を尽くす」という正義が許されない世界といえる。医療者はおしなべて正義感が強いため、その状況を受容できないことも多い。

東日本大震災の後、医療者を対象に、「災害の後、どのような状況なら患者を拒否することが許されますか」という質問をしたことがある。「医療者の命に関わるとき」「資源が枯渇したとき」などの選択肢もある中で、「いかなる状況でも拒否することは許されない」と回答した医療者は10%程度。そう回答した医療者にはベテランが多く、長年の信念を貫いてきた姿勢がうかがわれた。しかしそういう方ほど、万一患者を診られない事態が起これば大きな心の傷を負うのではないだろうか。

不正義を許容すること

今般のパンデミックでも、十分な防護策がない状況で患者を断るか否か、という葛藤に悩まれた方は少なくないだろう。

そのようなとき、「今正しい医療を提供できないのは『〇〇をしてくれない誰か』のせいだ」と誰かや何かを攻撃することで、心は多少軽くなるかもしれない。しかし、誰かをたたけば欲しい資源が出てくる、そんな「打ち出の小づち」は、災害時には存在しない。

今、コロナ禍という有事に医療者が自分を責めず、かつないものねだりで他人を傷つけないために必要なこと。それは災害という有事に正義が貫けない、ということを、自分だけでなく他の医療者や行政・政府などの他人にも許してやることなのではないだろうか。

引用元 : Medical Tribune withコロナのために捨てるべき信仰①正義
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