withコロナのために捨てるべき信仰②正解
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講師 越智 小枝
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withコロナのために捨てるべき信仰②正解
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講師 越智 小枝

今回の短期集中連載の第1回では、医療その他のあらゆる資源が欠乏する災害時には理想的な対応が困難であることを述べた(『withコロナのために捨てるべき信仰①正義』)。不足する資源を有効活用するために必要なことは、状況に応じた優先順位付けだ。当たり前のことだが、それは価値観や文化などにより異なるため、そこに「正解」はない。しかしEBM(evidence-based medicine)に慣れてきた私たち医療者は、しばしば困難な現場を「難しい症例」と同じように扱ってしまいがちだ。つまり、高度な専門的知識があれば正解が得られると、つい考えてしまうのである。

それに加え、情報化社会を生きる私たちは、情報が「ない」ことに対してとても脆弱だ。今、分からないことがあると、多くの人はインターネットで検索する。検索することで正誤によらずなんらかの回答が返ってくるため、インターネットの世界で「分からない」ということ自体を知ることは難しい。つまり、未知・不可知のものほど、インターネット上の検索により「偽の正解」を得やすいということになる。今般の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックは、偽情報・誤情報が混乱を引き起こす「インフォデミック」であるともいわれるが、これは多くの人が自分の納得する「正解」を求めて検索を続けた結果なのではないだろうか。

COVID-19の対応にEBMはない

COVID-19の臨床については、分かっていないことの方が多いと言っても過言ではないだろう。まず、今のところ確実な予防法がない。飛沫感染の予防策はあるものの、例えば接触感染やエアロゾル感染が現実社会でどの程度起きているのかは不明である。

また、確実な診断法も現時点で確立していない。ポリメラーゼ連鎖反応(PCR)検査・抗原検査はいずれも偽陰性が多いし、抗体検査についても免疫力獲得の指標となる程の精度はない(これは検査キットの精度にも課題があるだけでなく、検出された抗体が「中和抗体」である保証もないからである1))。そして、治療についても重症肺炎に100%有効な治療薬はいまだ存在しない。

つまり、今私たちが一番知りたい情報、すなわちCOVID-19は今どの程度世界に広がっているのか、今後感染はさらに広がるのか、どのようにしたら感染は防げるのか、もし感染したときに自分や家族は重症化するのか、それともしないのか、どのようにすれば「大丈夫」なのか―という問いに、明確に答えられるエビデンスは存在しないといえる。

数値は「正解」という錯覚

一番の問題は、それにもかかわらず「検査値」「予測モデル」などの数値データが入手可能であることだ。

もちろん精密機械を用いた測定や一流の研究者によるさまざまな試算・推測は、ある程度の確率で集団としての社会の動向を予測できるかもしれない。しかし現状の精度では、個人の未来を託せる数値はほぼ存在しないに等しい。それにもかかわらず私たちはPCRや抗体価、予測モデルなどの数値を、まるで私たちを「正解」へと導く唯一の道であるかのように扱いがちである。

「大量に検査さえ行えばパンデミックは収束する」

「早急に検査をしてこの治療薬さえ投与していたら命は救える」

「抗体陽性率が〇〇%だから集団免疫はできている(できていない)」

など、数値があればリスクがアンダーコントロールになるかのような言説が流布してしまう背景には、分からないことに耐えられないという社会全体の不安もあるだろう。暗中模索の中で数値が示されれば、安心してしまうのは人の常だ。しかし「すっきりした正解」のために、存在しないかもしれないエビデンスを求め続ける過剰な「正解信仰」は、「十分な情報の下に専門家が高度な試算をすれば、問題は解決されるはず」という専門家依存へもつながりかねない。

専門家に頼むべきもの

もちろん専門家から先進的な知見を得ることは必要だし、専門家は人々が情報にだまされぬよう、その知見の限界も含めて説明する責任がある。しかし私たちが専門家に頼むべきはそこまでであり、己の価値観までをも専門家に求めることはではない。

今、自粛や感染回避の在り方など、生き方や価値判断に関わる行動指針までも専門家に委ね、その失敗の責任もまた彼らに押し付ける、という異様な専門家依存が、医療者の間ですらしばしば見られる。

それは裏返せば、「自分は感染症や疫学の専門家ではないから解決の義務や責任はない」という集団無責任にもつながりうるだろう。時折見られる過剰な「専門家たたき」は、このような依存と責任転嫁から生じているのではないだろうか。

分からなさと付き合うために

今のパンデミックの影響はこの後何年も続くことだろう。また診療のEBMが確立するのも、もう少し先のことだと予測される。それは私たちが正解のない不確定な未来と長期にわたって付き合わなくてはならないことを意味している。

そのような分からなさの中で、リスクを伴う診療行為を行わなければならない私たち医療者のストレスは、他の職業にも増して大きい。専門家からのトップダウンの知見が医療現場に寄り添うことはできないだろう。

福島第一原発事故後には、放射線被曝への不安とともに暮らすために、多くの対話やリスクコミュニケーションが行われてきた。それと同じように、今必要なことは「勉強」ではなく同じ環境に置かれた者同士の対話やリスクコミュニケーションなのではないだろうか。同じ「目に見えないハザード」による災害を経験した福島から、私たちはあらためて学ぶものがあるのかもしれない。

引用元 : Medical Tribune withコロナのために捨てるべき信仰②正解
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