withコロナのために捨てるべき信仰③ゼロリスク
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講師 越智 小枝
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withコロナのために捨てるべき信仰③ゼロリスク
東京慈恵会医科大学臨床検査医学講師 越智 小枝

災害の種類によらず、私たちが災害時にまず目指すことは、人々が健康に生きることだ。災害後にはさまざまな二次災害が起こるため、被災者や支援者を含め、被災地に関わる人はそれらの健康リスクを全体として最小にとどめることを考える必要がある。しかしある特定のリスクに対する不安が高まるとき、そのリスクを過剰に回避することで別のリスクを招き、結果として健康を害してしまうことがある。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策において、不明なことが多い現状ではリスクを多めに見積もった感染防護を行わざるをえない。だが、その感染回避行動は本当に「安全」なのだろうか(『withコロナのために捨てるべき信仰①正義』『withコロナのために捨てるべき信仰②正解』)。

リスクトレード・オフ

2001年に米国で起きた9.11同時多発テロ事件は、航空機がビルなどに激突するという衝撃的なものであった。米国では飛行機による移動を不安視する人が車による長距離移動を選択した結果、交通事故死が2,000人以上増加したといわれている1)。福島第一原発事故では、放射線被曝を避けるために家から出ない、野菜や魚やキノコ類を食べないという人が増え、生活習慣病やフレイルなどの懸念が高まった2)。

あるリスクを避けることで別のリスクを呼び込むリスクトレード・オフは、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の感染予防においても配慮が必要だ。過剰な感染回避行動や自粛生活は、経済的困窮、精神的ストレス、運動不足、認知機能低下などのリスクを高めうるためだ3)。これらのリスクの大きさは人によって異なるから、リスク選択にもまた正解・不正解がなく、私たちは個人の価値観に基づきリスクを取捨選択するしかない。

ゼロリスクが阻むwithコロナ

しかし元来、いわゆる潔癖症であるとされる日本人は、ある事件が起きるとつい「ゼロリスク」を求めがちだ。今般のパンデミックにおいて政府の「要請」のみで大規模な自粛生活が実現されたのも、この潔癖症的性質によるものだろう。半面、このゼロリスク信仰が「自警団」のような他者へのリスク回避行動の強要や、リスクの高い医療者・長距離トラック運転手やその家族などを排斥する差別行為なども生んでいるようにみえる。

ゼロリスク信仰には2つの問題点がある。

1つは前述のリスクトレード・オフによるリスクの増加。もう1つは、「これだけやっていれば安全」「あのグループを排除すれば安全」という誤った安全神話により、むしろ感染リスクを高めることだ。

SARS-CoV-2には不顕性感染が多く、感染経路も十分分かっていないという特性上、「この境界のこちら側は安全」というゼロリスクの安全地帯は存在しない。withコロナ時代に差別も排斥もない健全な社会を目指すのであれば、私たちはゼロリスクが存在しないという現状を受け入れる必要がある。

感染防護にも「ALARAの法則」を

では、私たちはゼロにならない感染リスクとどのように付き合っていけばよいのだろうか。

東日本大震災後の福島でリスクコミュニケーションに携わって学んだことの1つに「As low as reasonably achievable(ALARA)の法則」がある。これは放射線防護において、被曝線量は「実現可能な範囲においてなるべく低くする」というものだ。

これが「As low as possible(できる限り低く)」ではない理由は、放射線被曝を過剰に避けるあまり、別の健康リスクや文化の破壊を招く可能性があるためだ。つまり、被曝を避けることで他の健康リスクが高くなる局面では、両者のバランスを取った選択が必要という考え方である。「ALARAの法則」は、今般のCOVID-19パンデミックでも導入する必要がある概念ではないだろうか。

他害リスクは感染症だけではない

「でもウイルスは放射線被曝と違って人にうつるものだから一緒にすべきでない」

「他者に害を与えるリスクは、回避リスクが高かろうとゼロリスクを目指すべきだ」

このような反論もあるだろう。では、私たちは日常生活において他害リスクを全く冒していないといえるだろうか。

例えば、自動車運転による交通事故は他者を巻き込みうるし、飲酒による暴力や受動喫煙なども同様だ。また私が今行っているような発信も、どのように気を付けていても誰かを傷つけうるという意味で他害リスクを伴うだろう。

そのように考えれば、他害リスクにもゼロリスクはない。社会において自動車の運転や個人の意見を発信することを許容することと感染リスクの高い行為を許容することの間に本質的な差はなく、全ての人は現状と世論のバランスによって自身のリスクを選択しているにすぎない。

不可知の中の道標

現状と世論のバランスは、もちろんCOVID-19パンデミック前から存在する。食べて、移動して、話して、働いて...、その1つ1つの行動にリスクが伴い、私たちは無意識にそれを選択して生きている。SARS-CoV-2はここに新たに加わった1リスクである。

つまり、withコロナ時代を人々が健康に過ごすためには、ウイルス感染のリスクを知って避けることだけでは不十分だ。健康リスクと常に向き合っている医療者は、人々が自分の人生観に従って健康リスクを選べるよう、感染を避けることで招きうるリスクも含め、健康リスク全体を俯瞰し、提示してあげる必要があるのではないだろうか。

「正義」も「正解」も「ゼロリスク」も存在しない今般のコロナ禍において、それでも健康な社会を実現するための道。それを率先して敷ける医療者でありたいというのが筆者のひそかな野望だ。

引用元 : Medical Tribune withコロナのために捨てるべき信仰③ゼロリスク
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